Part2 吉田松陰はコーチングのお手本

松下村塾の学習方法とは

カリキュラムや指導法などを、どれだけ綿密に準備しようとも、理想の教育を実現するには十分ではない・・・。
この事実に突き当たった私たちは、子どもとのコミュニケーションのあり方を考え始めました。

「教える内容、すなわち伝達すべき内容を、もっと確実に、効果的に子どもたちに伝えていく、もっとよいほうほうがあるのではないだろうか」と考えるようになったのです。
そのようにして様々に模索する中、「この人こそ新時代の教育のロールモデルとなるのでは」と行き当たったのが、幕末に生きた長州藩士で、松下村塾の主宰者として有名な吉田松陰です。

彼のもとからは、明治維新の原動力となった高杉晋作、明治政府で総理大臣を務めた伊藤博文、山県有朋など、そうそうたるメンバーが巣立っていきました。
しかも安政6年に獄死した時、彼はまだ数えで30。

高杉、伊藤、山県らとは10歳程度しか違わない青年だったのです。
いかに、当時の俊才がずば抜けた能力を持っていたにしても、また、「人間僅か50年」と言われるほど平均寿命が短く、今よりも人間の成熟が早い時代だったにしても、同年代の青年たちを教え、導き、ひとかどの人士に育て上げた松陰という人の手腕は、驚くべきものです。
しかも、彼が師として実際に教え導いたのは、その死の早さからもわかるように、ごく短い期間でした。

いったい彼は、門下生たちにどのような教育を施したのでしょう?松下村塾は、木造平屋建ての小さな塾でした。
建物は師弟が協力して建てた、質素なものです。
小屋と言っても良いかもしれません。
そのような小さな私塾でしたが、松陰の名を慕って、大勢の若者たちが入門を請いにやって来ました。

その際、彼は必ずこう問いかけたそうです。
「あなたは何のために学問をするのか? そして、何をなそうとするのか?これが松下村塾の入塾試験でした。

何のために勉強するのか。
そして学んだことを、どのように活かし、これからの人生をどのように生きていくのか、それを自分で考えさせる。

そう、先にご紹介した通り、これは現代で言うところのコーチング術です。
松陰は「入塾試験」にのみ、コーチングの技法を用いた訳ではありません。
弟子たちには常々、「自分で考える」ということを、徹底して指導しました。
勉強をする上で一番学ぶべきことは、人間として大切なことは何か、そして人間はどのようにして生きていくべきかを自分で自覚することであると説き続けました。
約260年も続いていた江戸幕府が、今まさに倒れようとする動乱の時代です。
入り乱れる情報を吟味し、自分で考え、判断し、行動しなければ、自分はもとより、盟友たちの命をも危険にさらし、理想とする明日を築く道が閉ざされてしまうかもしれない、そんな時代です。

「自分で考える」──そういう指導法は、時代が要請したものだったのかもしれませんが、いずれにせよ吉田松陰は、コーチングの天才だったと言って間違いないでしょう。
では松陰は、「自分で考える力を身につけさせる」という教育理念を、どのような指導法で実現させていったのでしょうか?「学は人たる所以を学ぶなり」(がくは ひとたる ゆえんを まなぶなり)松下村塾 吉田松陰(1830-1859)

松下村塾の凄すぎるカリキュラム

松下村塾では、統一的なカリキュラムは用意されていませんでした。
各人が学力と好みに合わせて、勉強分野と教科書を選ぶのです。
学習方法は講釈、討論、看書をはじめ、テーマ別にグループに分かれて行う会読、松陰自身が個人教授をする対読、課題を与えて、出てきた答えを批評する対策、思い思いに読書をして皆の前で所感を述べ、塾生の批評を受ける私業などがありました。
松下村塾での学習法は、準備されたカリキュラムを、決められた時間内に消化していくといった画一的なものでなく、いわば「ライブ」で進行する、臨機応変なものだったと言えるかもしれません。

それゆえに、塾生一人一人の個性に合わせた、きめこまかい学習支援が可能になったのです。
また松陰は、塾生が個々に持っている才能を自ら発見し、刺激し、展開させ、実戦にまでかりたてるような、主体的な自己教育を重視しました。

自主性を重んじるため、授業は勉強したい塾生がやってくると始められます。
ですから時間割は学習者の意思、もしくは都合次第です。
一日に数回やってくる塾生もいました。

他塾と掛け持ちで通ってくる者もいました。
あるいは、勉強に集中すると昼夜を忘れ、夜を徹して居続ける弟子もいました。
また先入観を捨てた指導も、松下村塾の特徴です。
松陰は身分、年齢、経歴などによる先入観には一切とらわれず、各々の長所を見つけて引き出し、ヤル気を奮い立たせました。

そして入門を希望するものには「授業は能わざるもの、君と共に研究せん」と答え、「眼中師弟なし、ただ朋友あり」の精神、教師と生徒という立場ではなく、共に学ぶ同士として、塾生と平等な立場で接しました。
松陰がほめ上手だったことも見逃せません。
彼は相手をほめるときには、「天下一」とか「防長随一」という言葉を使って、徹底的に讃えました。

その一方で、叱るときも徹底しており、罵倒することさえあったそうです。

このように硬軟を使い分けたメリハリある叱咤激励により、本人すら気づいていない弟子たちの潜在能力を引き出していったのです。
また彼は、競わせ上手でもありました。
塾生の競争心をあおることで、その長所を更に伸ばすよう心がけたと言われます。
たとえば松陰は高杉晋作の情熱と能力を見抜くと、村塾きっての俊才・久坂玄瑞と競い合うようにしむけました。

その結果、晋作はめきめきと頭角を現し、松陰に、「識見気迫他人に及ぶなく」と高く評価され、玄瑞とともに松下村塾の双璧と言われるまでに成長したのです。
翻って、現代の教育はどうでしょうか?松陰が行なったような完全個別指導は望むべくもありません。

個別的な指導なら何でも良いという訳でもありません。
また、第二に挙げた自主性の重視も、学校や塾のような組織で実現するのは不可能に近い。
「好きな時に来なさい」では授業は成立しませんから、「何時から何時まではこの教科」として、生徒を集合させることになります。

第三の「先入観を捨てた指導」も、言うは易く行うは難し、です。
決して簡単なことではありません。
そもそも、教師は生徒が「知っていて当然」と考える傾向があります。
たとえば、高校生なら英語の三人称単数という文法項目を、理解していて当然とみなしますが、中にはそこでつまずいたために、その他の部分の理解がままならない生徒だっているのです。

第四のほめるも、簡単なことのようでいて難しい。
学校では教師の「えこひいき」ととられかねませんし、一人一人を口を極めてほめてあげる時間的な余裕もありません。

また、「駆けっこも全員揃ってゴールしましょう」などという動きもあった昨今ですから、競争はむしろ、学校教育の中では排除されるべきものと見なされているフシもあります。
模擬試験の結果などは別として、塾でも授業内で競争心を煽り、切磋琢磨させることは、それほど簡単ではないでしょう。

松陰の指導法を現代に活かす方法は無いのか?試行錯誤を繰り返しながら到達したのが、パソコンを利用した学習です。

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